作らせるんじゃない。音楽を作るんだよ。

未来の夢を語る男に、友人が発破をかける。昭和37年の日活映画『 銀座の恋の物語 』で、作曲家を目指すジェリー藤尾がピアノまで持って行かれて心折れて作曲家よりプロモーターの方で成功するんだと嘯(うそぶ)く。

音楽を作ることを諦めるなと応援の言葉を掛けるのは石原裕次郎、彼は店舗デザイナーとして生活できていければと夢抱いている絵かき青年。

有名な作曲家や作詞家に曲や歌を書いて貰える演奏家、歌手になるように頑張るとか音楽を作ってミュージシャンになると夢の語り方は、音楽を作る仕事をしたいという方が今風には多いと思う。
音楽を作らせる仕事、この発想もあったんだ。高度成長期の真っ只中の青年たちの描く未来には選択肢としてこれもあったんだろうなぁ。

映画の中で一箇所音が鳴らなくなった赤いトイ・ピアノがドラマのクライマックスを作る小道具として登場する。鍵盤は少ないものだけど、わたしも持っていた。赤ちゃん時代のおもちゃだったけど、気に入っていて小学生の頃には部屋の飾りにしていました。

おヘソちゃんと近所の人に呼ばれていたのは、気に入っていた服がおヘソが出るようになっても来て小学校に投稿していたから。その服の肌触りが手放せなかったのだけど、次第におヘソに注目されることが楽しくなっていった。“快感”というものは言葉を知らなかっただけだろう。

近所の人もわたしの今の仕事は、予想していた通りだっただろう。おヘソちゃんに似合うと思うって頂く服は身体のラインが光に透けるものだったり、勿論おヘソが出るものだったり。
中学校に通う頃に、その頃の近所のおじさんに挨拶すると、もう中学生か、そろそろだねって笑顔を見せていた。その期待の表情が意味することは充分に理解してた。
『魚臭いのは嫌よぉっ』って巫山戯(ふざけ)ると、しっかり身体を洗ってもらうさって、わたしのおヘソのあたりでくるくるとスポンジで撫でる仕草をしてくれた。

映画『銀座の恋の物語』は浅丘ルリ子さんが石原裕次郎と旅行を約束していた駅に向かう直前で交通事故に在って記憶を失う。絵かきの青年は片時と忘れられずに街中で面影の似た女性を間違える日々を過ごしていた。ある時立ち寄ったデパートで店内アナウンスの声に気を取られます。

記憶を失った恋人は有名デパートの店内アナウンスをして生計を立てていました。彼女のように記憶喪失になっていたとして、わたしは『おヘソちゃん』に期待されていた仕事を同じくしていることだっただろう。

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